シネマスコーレが開館20周年を迎える。そこでオーナーであり邦画界を代表する映画人でもある若松孝二監督をシネマスコーレに招き、シネマスコーレや日本映画界についてを伺ってみた。
 

20周年おめでとうございます。
若松 ありがとうございます。
Q1 シネマスコーレという名前の由来は何でしょうか?
若松 スコーレというのはね、学校という意味なんですよ。かつて公園に集まって芸術論とかいろいろな文化の話をしていたことが、どんどん今でいう学校というものになっていったんです。ラテン語で学校というのがスコーレです。みんなが集まって芸術とか文化の話をしたりする場がシネマスコーレなのかな。
Q2 映画監督である若松さんが、映画館を作ろうと思ったきっかけは何ですか?
若松 大きな映画館やいろいろな映画館、メジャーな映画館がいっぱいあるけれども、若い人たちが自分の思うような映画を作ってもそれを上映する場がないんだよね。作ることは簡単で誰でも作れる。だけどそれを上映する場がないの。だからその場を提供するっていうのかな。たまたま名古屋にこういう空間があったから、まあ、東京には小劇場とかいろいろなものがあるからね。名古屋にこういうのがあってもいいんじゃないかって、木全支配人に相談して20年前に作ったんだよね。

Q3 

1983年にオープンしてから今日まで映画を上映してきましたが、シネマスコーレ(若松さん)のモットーはなんですか?
若松  映画を上映する場を作ったわけだから、支配人とスタッフが一緒になってどういう映画がいいのか?そして、もしかしたら埋もれているいい作品があるかもしれない。そういう映画をメジャーは絶対やらない。観客が入る映画しかやらないよね。だからろくな映画がないんだよ。だからスコーレでやるような映画はマニアックであっても観た人が感動するとか泣くとか笑うとか、何かを感じて帰ってくれるようなものをシネマスコーレは皆さんに提供していきたい。と僕は思ってる。
Q4 映画を作ることと見せることの違いは何ですか?
若松 作ることがいちばん簡単なんです。なぜかっていうと、お金があれば映画は作れるんです。見せることが大変なんです。だから今は映画を作ることに文化庁なんかはある程度援助するけれども、あれはダメだと僕は思ってるわけ。それを見せるためにね文化庁がちゃんとお金を出してくれないといけないと思う。人間は情熱があれば映画は作れるの。自分が何を撮りたいかという志の問題。もちろん僕なんかもこれからもっと映画を作りたい。いい年ですけど。だけどお金がない。映画っていうのは簡単に100や200万円でできるものじゃないからね。少なくとも2000〜3000万円はかかる。億の金がかかる。そうするとなかなか作りたいものが作れないけども、ただ作ろうという意志があれば、原稿用紙をずーと撮っても、映画は映画なんだよ。ずーと一人の人間と風景だけを撮っても映画は映画。ただその映画を見た人が感動するかどうか、お金を出して見てよかったかどうか、時間を損しなかったというふうになれば一番いいわけ。だからね、誰でも映画が作れるっていうのが僕の自論なわけです。
Q5  最近はシネコンが増えてきて、お客さんがそちらに足を運ぶことが増えてきたと思いますが、今後ミニシアターや単館映画館に望まれることは何だと思いますか?
若松 シネコンはいろいろな作品をごちゃまぜにしてそこでやれば、どれかにお客さんが来ればペイできるっていうシステムをとってるわけだよね。だからどんどん番組を組まなければいけないから何でもかんでもやるけれども、これからはシネマスコーレのような劇場は、作品選びとかが大変になってくるのではないですか。べつにシネコンが怖いとかそういうことじゃなくて、つまり見る観客の問題もあるわけ。この人たちが作品を一つ一つ選んで、これは面白いこれは自分には合わないとかあるから、ちゃんとお客の目が肥えてこないと僕はダメだと思う。
Q6 お客さんの目が肥えるために私たち(ミニシアター)ができることってありますか?
若松 国がこの文化に対してもっと理解度があれば、本当にいい作品をお客が来なくてもやるところを補助するっていう制度がないかぎりはダメよ。アホな連中にいくら金を出して映画を作らせたってつまらないのばっかり作ってるわけだから。だからね、今日本映画がつまらないのはそういうことなんだよ。若けりゃいいてもんじゃないんだよ。映画ってのは画面とお客さんとの対決なんですよ。今の若い人たちが撮ってるのは要するにみんなコピー。たとえばアメリカ映画を見て真似したり、香港映画を見てバンバンピストルを撃てばいいと。そしてお客が来ると内容がないからあきれるんだよ。映画は内容。いい作品はね、たとえば30年前に撮ろうが、50年前に撮ろうが、すばらしい作品は今でも面白いの。手前味噌になるけれども、僕の映画が30年40年経っても、未だに20代の若者が見て新しい面白いって言ってくれるってのが、ものすごく僕の自慢だよ。そういうものを若い人たちが造ろうとしないで、ただピストルをボンボン撃てばいい、戦争みたいに爆弾をボンボン使えばいいってね、脳みそがカラッポな奴がいくら作ったってダメなんだよ。見るほうもいけない。見るほうもちゃんと映画を選んで見てほしい。僕が望みたいのはそこですよ。
Q7 シネマスコーレの方向性は?
若松 何度も言っているけれども、シネマスコーレの方向性としてはシネコンとかにいく客じゃなくて、やはり映画を選んで来てくれるそういう番組を組んでいきたいと僕は思ってるし、だから支配人にもそれをお願いしたい。そうしないと閑古鳥が泣いてくるんじゃないかな。
S 最近はデジタルを使った作品が多いですが、そのことについてどう思いますか?
W 作品によってデジタル使っても言いいわけ。つまりね。使わなくたっていいものにでに使ってるんだよ。これがダメでしょうね。使わなくたっていいものにわざわざデジタルを使って、いかにもこれはものすごくお金をかけて作った。って見せたって、所詮はデジタルはデジタルなんだよ。たとえば鉄筋コンクリートの建物と木の建物、日本建築みたいなものとの違いと同じ。だから何でもどっちがいいというのは言わないけど、デジタルでチャラチャラしてね、いかにもハデに作ったって中身がなかったらダメなんだよ。女性だって男性だって周りだけチャラチャラ飾っても中身がなかったらただのアホだろ。着る物でもチャラチャラ指輪でもチャラチャラやったってさ、中身がカラッポな奴なんていっぱいいるだろ。見ればすぐにわかるだろ。それと同じだよ。だから中身の問題。
Q8 監督業の魅力や面白さはなんですか?
若松 僕はね自分にとってこんなに幸せな職業を自分が選んだってことはね、まあ何の因果か知らんけれどね、僕は本当にいい職業を選んだと思う。なぜかって言うと、やはり自分の好きなものをっていうのかな、自分で絵を作ってそれを人が見て、映画を作ってそれを喜んでもらえるのが一番うれしい。そういう仕事を僕は選んだってことと、それでちゃんと生活が出来たってことはね、これは人よりは少々お金なくって明日からおにぎりだけ食べてもね、僕は幸せだと思ってる。
Q9 監督になったきっかけはなんですか?
若松 僕は権力に対してものすごく腹がたった。つまり表現というのはね、何かに腹が立たないと出来ないわけですよ。たとえば、あなたを殺したくても殺しちゃうと僕は罪になるわけね。映画の中であなたをメッタメッタに刺そうが殺そうがこれは罪にはならないんだよね。だから僕はね表現の手段として、つまりもしかしたら運動の手段として、映画監督を選んだんでしょうね。
Q10  自然にそういう方へ向かっていったんですか?
若松 それはいろいろなきっかけはあるけどね、話すと一時間以上かかってしまうからね・・・。
だからどんな人でも、ただ、ただ監督になりたいとか、何かになりたいとかいう、うわべだけではなれない。自分の信念がないとぜったいなれない。映画を見てなんでも簡単にできると思うよな、自分も出来ると思ってもそれは出来ない。自分のきちんとした志がないと、みんなにうける映画、いっぱいあたるとかそういうことじゃないよ、例えば100人見たら30人でいいから、3割が面白いって言ってくれたら僕は大成功だと思ってる。だから自分の・・・、さっきも言った監督になるきっかけとかそういうものっていうのは、要するに腹が立って腹が立って、よし、復讐してやろうと思って、それが映画監督への道だったんだよな。本当は小説家でもよかったろう。ただ、僕は学校に行ってないし頭悪かったからね、まあ映像だったら、自分で想像してそういうのを絵にすることをなぜか神様が僕に才能を与えてくれたのかな。神は信じないけれども。
 Q11

きっとそうです。
では、今一番撮りたい題材はなんですか?

若松 もしこのインターネットを見て僕にお金を出してくれるって言う人がいれば、まず撮りたいのは、72年かな?浅間山荘事件というのがあるんですよ。連合赤軍が浅間山荘に人質をとって、約10日間ろう城した事件、闘争があったのね。ぼくはなぜ彼等若者がそういうことをしたのか?皆頭の良い人なんだよ。皆大学生でね。で、真実はどこにあったのか?やはり彼らはただの強盗だったとかね、そういう変な歴史じゃなくて、彼たちの本当の姿をね、命を張って戦ったわけだから。近代でね国家と戦争したのは彼たちだけなんだよ。それを映画としてきちんと後世に残したい。僕の夢はそれだな。ま、夢って実現するかしないかわからないけれども、死ぬまでにはその映画は撮りたいって僕は思っている。ま、今まで2本ぐらいそういう映画はありますけど、それは僕にとっては全部不満だらけ。だから僕に撮らせようという人がいたら1億か1億ちょっとあれば出来ると思うんでね、そういう人が、よし!若松と勝負してやろう!と。だったら、もしかしたら5億ぐらい儲けさせてあげるかもしれない。それだけ客が来るような映画にする自信はあるけれども、まあ、今撮りたいのはそれでしょうね。それと、これは予算が少なくて済むんですけど、やはり少年の話を撮りたい。なんだろうな、僕の小さいころガキの頃の少年時代ってのは、田舎の風景とかいろんなことがあるし、たとえば夕方になると川の土手に座っていると魚がピョンピョンピョンピョン跳ねるんだよ。その魚がね、おい!孝、僕の本名なんだけど、声をかけてくれてるようなきがするわけ。それにおそらく僕も一人でね、なんか魚を採りに行きながら声をかけてる気がするんだよね。そういうような自然と少年。今の日本の少年というのは、空も見ないだろうし星もみないだろうし風景に感動するってことがないと思うわけ。そういう風景に感動するような少年の話を撮りたい。惚れた張ったのあれじゃなくて、渋谷とかでバカみたいにたむろっているああいうガキじゃなくて、風景を見せる。例えば初めて夕日を見てみな。はじめて海を見てみな。少年が初めて海をみたらどうするだろう?初めて少年が夕日を見たらどうするだろう?夕日が少年に何を語りかけてくるだろう?少年は何を夕日に語るだろう?詩の世界じゃないけれども、詩的な要するにそういう映画を撮りたいと思って、今いろいろな脚本家に話してる。僕は書ける能力はないからね、頭の中にあるわけ。ただ映画を撮るときにはある程度シナリオがないとスポンサー要するにお金を出してくれる人が出してくれないんだよ。俺は黙って俺に預けなさいって言ってるんだけども、なにか形になるものがほしいって・・・。僕は台本なくても撮れるって思うんだけど。つまり僕はそういうのを撮りたいって思ってますね。
Q12 二つも大きな題材があるんですね。
若松 うん。ずーと。でももう俺だってそんな長生きするわけじゃないからね。その二つぐらい撮ってから死んでもいいなと思ってますけどね。
Q13 シネマスコーレに来るお客さんにメッセージを。
若松 シネマスコーレで映画を見てつまらなかったら、誰にでもいいので、なんでこんな映画をかけたの?なんでやるの?と、いろいろな意見を出してほしい。支配人、その他の従業員は皆素直ですから。全部そういうの受け入れて次の番組を組むときの参考にすると思いますんで、是非いろいろな意見を出してほしい。それがシネマスコーレを育てていくお客さん、見る側の義務だと思います。みなさんよろしくお願いします。